ご挨拶

 みなさん、こんにちは。鮟鱇と申します。俗名は石倉秀樹です。1997年4月から漢詩作りをはじめ、歳はとっておりますが、2001年8月末現在、作詩歴4年4か月の新米です。
   わたしはメシを食うことよりも漢詩作りが好きです。そこで、詩を書くためにメシを食っています。
    メシを食うことよりも詩を書く方が好きな人間がどのような詩をかくのか、このホームページはそんなわたしのやり方をお笑いいただきたく立ち上げたものです。


 とはいえわたしも、漢詩作りを始めた当初は、メシのほうが好きでした。鮟鱇というペンネームは、わたしの気に入った自作:

      鮟鱇喜海暝,大抵昏昏睡。点火口前燈,奇魚鱗聚戯。

             からとったものですが、もし死んで生まれ変わることがあるなら、あの口の大きなチョウチンアンコウになりたいという思いがありました。ほんものの鮟鱇が悪食かどうかはわかりませんが、わたしは悪食です。

 わたしの詩の悪食たるところにつき自覚していますところ、少々紹介させていただきます。

(レジュメ)
1 わたしの漢詩作りの最初の動機は、中国語の学習です。
2 わたしはおそらく多作です。また、わたしは唐詩(絶句・律詩)だけではなく、宋詞・元曲も書きます。
3 わたしが多作でありたいと自ら願うのは中国古典詩詞の「生産性」をアピールしたいからです。
4 わたしの詩作はわたし自身の凡才を基底としています。わたしの競争相手は自らの天才を信じて詩を書く人々です。つまり、食卓に臨んだ天才が料理の選り好みをするのであれば、わたしは、出された皿を順番に全部食べます。

(説明)
1 わたしの漢詩作りの最初の動機は、中国語の学習です。
  中国語を習得するためには、わたしたちの日本語にはない声調(声の高低のアクセント)を学ばなければなりません。わたしたちの日本語は、音の区別としてはおよそ100の音を聞き分ければよいのですが、中国語には400の音があります。そして、そのそれぞれに4の声調があり、同じ音に聴こえても声調が異なれば意味が違ってしまいます。わたしたちは100の音を聞き分け、中国語では400×4=1600の音を聞き分けています。
  この聞き分けを退屈しないで学んでいくためにはどうしたらよいか、わたしはその答えがわりに漢詩の絶句を作ることにしました。絶句作りでは押韻のほかに「平仄」を整えることが求められます。「平仄」は、絶句・律詩、つまり唐の近体詩の場合、唐の時代の声調をベースにしていますので現代中国語の声調とは必ずしも一致しません。しかし、おおむねは一致しています。そこでわたしは、絶句をたくさん書けば、現代語の声調も楽しみながら覚えることができると思い、漢詩作りを始めました。
  ルーマニア生まれブカレスト大学卒のフランスの劇作家イヨネスコは、フランス語学習の馬鹿馬鹿しい繰り返しをうまく生かした劇作で有名ですが、小生の漢詩の原点も母国語ではない言語の習得にあります。なお、語学の学習が多多、馬鹿馬鹿しい繰り返しにいかに辛抱強く耐えていくかをハードルとしていることは、なにもフランス語に限ったことではありません。

2 わたしはおそらく多作です。また、単に「詩」だけではなく「詞・曲」を書きます。
  おそらくというのは、わたしが知る範囲の日本の現代漢詩人のなかでは多作だということです。
  わたしが書いていますのは、主に唐詩(絶句・律詩)、宋詞、元曲の中国古典詩詞ですが、現代漢詩である曄歌・坤歌も書きます。1997年の4月から書き始めて2001年の8月末までの4年4か月で、古典詩詞はおよそ3300首、曄歌・坤歌はおよそ800首書きました。2000年には1年で1070首、2001年は8月末現在で1200首の古典詩詞を書いています。五言絶句では2日で50首書いた経験があり、1 首10字の曄歌・坤歌は1日で50首書きました。
  また、わたしは唐詩(絶句・律詩)だけではなく、宋詞・元曲も書きます。この点がわたしの詩作りのもっとも特徴的な点であるかも知れません。宋詞・元曲は、現代の日本人にはあまり知られていませんが、狭義の「詩」が、各句定数字で書かれるのに対し、句句の字数は不定で長短句を織り交ぜながらも、絶句や律詩同様、平仄・押韻を重視して書かれる「詩」です。かりに唐詩の精華をフランス象徴主義の詩にたとえるなら、宋詞・元曲はそれを乗り越えるために試みられたシュールレアリズムに比較できると小生は考えています。ただし、シュールレアリズムの詩は定型詩ではありませんが、宋詞・元曲は定型詩です。
  現代日本では、唐詩を書く人でさえあまりおりませんが、宋詞・元曲を書く日本人はもっと少ない。そこで、宋詞・元曲作りは昭和の初めに滅んだというのが学者諸先生の間の定説です。わたくし鮟鱇は悪食です。そこで、昭和の初めに食い残された宋詞・元曲作りの残飯を食べ尽くそうと思っています。

3 わたしが多作でありたいと自ら願うのは中国古典詩詞の「生産性」をアピールしたいからです。
  詩において重要とされるのは一般にその「芸術性」であると思います。とくに現代日本においては芸術至上的傾向が強く、詩の愛好家の多くは、わたしにいわせれば、詩作を「芸術」の女神の奴隷としています。「詩」よりもあとからやってきた「芸術」が、それまでの人類の作詩の伝統を蹂躙し、足蹴にしています。この状況をわたしは打破したい、そこで中国古典詩詞の「生産性」を特に強調したいと思っています。

  わたしたちは多くの場合、言葉を通してものを見、言葉を通して世界観を形作ります。わたしは、わたしたちが「芸術」という言葉を通して作りあげている世界観の全体を論う立場にはありませんが、「芸術」という観念によって、詩には一人の作者がおり、その詩を鑑賞し批評する多数の読者が存在するというしくみができあがっていると思います。そして、そのしくみによって、わたしたちが詩そのものを楽しみ、詩作を楽しむという営みが阻害されていると思う。

   「芸術をめざす詩人」は、理想的には自作が多くの鑑賞者に読まれ、理解され、称賛されることを求めるし、もしそうでないなら、自作が読まれず、理解されず、称賛されることがないことを嘆くでしょう。この一と多の対立のなかで詩の作者が、不特定多数の読者を相手に悪戦苦闘する場が、「芸術」という名の市場です。そこでは、衆人環視のなかで舞台にあがる踊り子のように、詩人は自分の踊りが不特定多数の観客に気に入られることを望む。その姿は、芸術の女神にマゾヒステックに虐げられる奴隷にも似ています。

  しかし、陶淵明や李白や杜甫が、そういう奴隷市場で活躍したいがために詩を書いたとはわたしには思えません。出版という技術が今日ほど発達せず、書物の大量の売り買いが行われなかった時代です、彼らが詩を書いたのはまず自分で楽しむためであり、次にいささかの自分の思いを詩に託して親しい友人に手紙がわりに贈呈するためであり、あるいは李白の一部の詩がそうであるように、皇帝から、詩を作れと命じられたからです。いずれにしろ、彼らの詩は、自分をふくめ或る特定の人に読まれることを前提に書かれたのであって、現代の「芸術」をめざす詩人がするのように、不特定多数の鑑賞者に向かって書くことなどという曖昧な書き方は、していません。「芸術」の女神とは、つまるところこの「不特定多数の鑑賞者」であって、魅力的な姿態をもった具体的な女性ではありません。

  詩を書く者が芸術をめざすということは現代日本では不思議なことではありません、また、古人にもわたしたちと同様、芸術をめざして書く者がいたかもしれません。たとえばギリシャ悲劇の作家たちはそうだったかも知れない、彼らは、劇場に集まる不特定多数の観客に見てもらうことを前提に劇作をしましたから。しかし、陶淵明や李白や杜甫もそうだったか?陶淵明や李白や杜甫の詩が、不特定多数という「芸術」がめざす市場で朗誦されるために書かれたとはわたしには思えません。   
 
  わたしの独断ではありますが、日本語は美しい言語です。しかし、困ったことに、詩とそうでない言葉の区別が大変つきにくい言語です。まず、韻を踏むということが日本語ではあまり意味がない、五七調の音数律が快い響きを生むことはすでに知られていますが、これのほかに詩とそうでない言葉を区別する音韻律上の規則はいまだ発見されていません。そこでわたしたちは、詩とそうでないものの区別は、書かれた内容によって区別するしかありません。書かれた内容に詩情があれば人はそれを「詩」と呼び、詩情が乏しければそれを「散文」と呼ぶ、それが日本語のなかの詩です。

  しかし、中国古典詩詞の世界はわたしたちの世界とまったく異なります。韻を踏まない文は、それがどんなに詩情を喚起するものであっても「詩」ではありません。また、各句の字数を同数としない文は、李白などの古詩の一部がそのように書かれてはいますが、基本的には「詩」ではありません。また、もし、その文が、句の字数はまちまちであっても、平仄を十分に考慮し、押韻をしていれば、それは韻文であり、「詞」であり「曲」です。また、ここでは深入りを避けますが、平仄を無視し書かれた絶句や律詩は、近体詩ではないという区別もあります。
  要するに中国語における「詩」(広義の「詩」。詩、詞、曲)は、平仄と押韻という作文の様式によって、明確に散文と区別されています。

  韻と押韻という詩の様式にしたがっていても、詩情に乏しい「詩」はもちろんあります。様式をもたないわたしたちの日本語は、このような文を「詩」とは呼びません。しかし、中国古典詩詞の世界では、それでも「詩」です。ただ、ヘタなだけ、この「ヘタ」に語弊があるなら、詩情には乏しいが「詩」は詩です。

  しかし、この詩情に乏しい「詩」をわたしたちは馬鹿にできません。なぜなら、「詩」は、作者にとっては不特定多数であるわたしたち読者に対して書かれるということはあまりなく、多くは作者自身のために書かれるからです。李白の多くの傑作も、おそらくは李白自身のために書かれており、彼に自作を世に問う意図がどれだけあったか疑問です。かりに彼に自作を後世に残したいという気持ちがあったとしても、それは、自作が李白本人にとってとても快いものであり、その快さを後世の人間と共有したいという純朴な気持ちに根ざしていただろうと思われます。
   李白はまず自分の感動のために詩を書いています。わたしたち読者は、その感動のお相伴をさせてもらっているに過ぎません。

  なぜ中国古典詩詞の作者は自分のために書くのか?平仄と押韻には、散文で書くのでは到底獲得できない言葉の働きがあるからです。最初はどんなにつまらない感慨であっても、平仄を整え、韻を踏んでその感慨を書き記せば、作者と「言葉」との間にある種霊的な交感が生まれます。この交感はとても快い、そして、その快さを生み出す効能が、平仄・韻の働きにあるわけです。そこで人は、平仄を整え、韻を踏んで「詩」を書くのです。この豊かさは、平仄・韻を踏まえさえすればだれでも手にすることができます。詩的霊感や感性に恵まれない凡才であっても詩的感動を獲得できる、中国古典詩詞の基底にはこの豊かさがあります。この豊かさは、天才を必要としません。詩作のルール、つまりは平仄と韻ではありますが、これさえ知っていれば特別な才能がなくても「詩」が書ける。中国古典詩詞のこの豊かさゆえに、わたしは、中国古典詩詞作りは「生産性が高い」と思っています。

4 わたし詩作は凡才を基底としています。わたしの競争相手は天才を信じて詩を書く人々です、食卓に臨んだ天才が料理の選り好みをするのであれば、わたしは、出された皿を順番に全部食べます。

  この点につきましては、わたくしの実作をザッと眺めていただければ幸いです。餃子が出されたあとでふたたび餃子が出されても、わたしはそれを食べます。おそらくこれは理屈の世界ではありません。

(終わりに)

  中国古典詩詞は、凡人に詩詞を書くことを許しています。そして、読んで鑑賞するよりも、自分で作って楽しむことに適しています。つまり、先人の佳作を鑑賞するよりも、自分で書いた方が楽しいのです。もしそうでないなら、李白や杜甫がみずから詩を書くはずがありません。そういう楽しさをわたしのページで見出していただけるならと思います。そして、あなたも、あしたから、ぜひ作る仲間に加わってくださることを祈念しています。

    また、小生の作の多くは、鈴木先生主宰のホームページ「漢詩を創ろう」、田中先生主宰の「桃李歌壇」、中山先生主宰の「葛飾吟社」への投稿を励みにして書いてきたものです。諸先生のページもし無かりせば、詩を書くという孤独な作業をどこまで続けられたかわかりません。小生の駄作の掲載をお許しいただいた諸先生の寛大なお心くばりにこの場を借りてお礼申しあげます。ありがとうございました。

    ご挨拶長くなりました。